
深沢 由美
ユミクラシックバレエスタジオ 主宰
谷桃子バレエ団団員
日本バレエ協会会員 甲信越支部運営委員
2005年 東京新聞全国舞踊コンクール 【優秀指導者賞】 受賞
1966年
東京・蒲田にてバレエを習い始める。
1967年
父親の甲府への転勤に伴い、足立四津子バレエ研究所(甲府市)入所
1970年
同じく長野県佐久市に転居し、長野バレエ団入団
1973年
谷桃子バレエ団研究所入所
1980年
谷桃子バレエ団20周年記念発表会にて「くるみ割り人形」の「金平糖の女王」を演じ同時に谷桃子バレエ団団員となる
以後、同バレエ団の海外・国内及び地方公演の全てに出演する一方、日本バレエ協会の各公演、NHKテレビ「バレエの夕べ」などにソリストとして出演。主な演目に「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「バヤデルカ」「ロミオとジュリエット」「レ・シルフィード」「カルミナ・ブラーナ」「パリのよろこび」などがあり、その他多くの創作物にも出演している。
1985年
山梨県甲府市にて、【深沢由美バレエ教室】を主宰
1992年
【ユミクラシックバレエスタジオ】に改称
1997年
カナダ・ロイヤルウィニペグバレエの国際教師コースに短期留学
1998年
新国立劇場にて行われた日本バレエ協会公演「全国合同バレエの夕べ」において、甲信越支部の出品作「グラズノフ・スウィート」(振付:深川秀夫)のバレエミストレスを務める。
2002年
ローザンヌ国際バレエコンクール セミファイナリストを輩出
2005年
東京新聞全国舞踊コンクール 【優秀指導者賞】 受賞
ユミバレエ 20年の歩み
2005.08.21 20周年記念公演プログラムより
谷桃子バレエ団の団員として同バレエ団や日本バレエ協会など数々の舞台に立つ一方、既に東京・三軒茶屋で教室を主宰していた深沢由美が、結婚を機に現役を退き、山梨で「深沢由美バレエ教室」を開いたのが85年のことでした。当時甲府市中村町にあった幼稚園の2階をお借りしてのスタートでしたから、ほぼ必然的に最初の生徒数名は園児さん。その中に、現在当スタジオ教師の石原真美と本日出演の渡辺泉帆がおりました。
生徒達の初舞台は87年12月、甲府市宝の農業共済会館でのクリスマス会。何から何まで手作りの、今思えば本当に覚束ない会でした。
第1回発表会は88年8月、旧白根町の桃源文化会館にて。メインは『くるみ割り人形』第2幕で、わずか19名の生徒ながら、ゲストは我が国を代表する藤木俊彦・赤城圭の両先生という贅沢かつ志の高いものでした。
その後教室を旧竜王町名取の交差点にあったスーパーマーケットの2階に移し、田富町内のスーパーでも、週1回の教室を開いて、91年11月の第3回発表会では、山梨の地で育った生徒達と一緒に深沢が『パキータ』を踊りました。
県芸術祭への初参加は90年。藤木俊彦先生振付の作品でした。三軒茶屋のスタジオからの応援も含めた12名が出演し、その中に現教師の小林愛もおりました。94年には島崎徹先生の新作『バラード』を出品。以来、昨年の県民文化祭『ビジョン』まで計9作品全てオリジナルで、毎回音楽だけしかないところからスタートし、わずか1分の振付けに3時間をかけることさえ、というかけがえのない経験を積んできました。
日本バレエ協会主催の「全国合同バレエの夕べ」における甲信越支部作品には、深沢自身も含め、これまで4回参加しました。
92年の埼玉全国舞踊コンクールで石原真美らが初めて入賞(埼玉県舞踊協会賞)しました。その後毎年少しずつ参加者・入賞者が増え、またより多くのコンクールに参加するようにもなり、創立20周年の今年、初めて第1位受賞者が出ました。
92年に甲府スタジオができ、「ユミクラシックバレエスタジオ」と改称、2000年には甲府スタジオの2倍の広さを持つ玉穂スタジオが完成しました。
93年6月の第4回発表会で初めて会場を県民文化ホール大ホールにするとともに、全幕物(『コッペリア』)に挑戦しました。95年1月に10周年の第5回発表会を、2000年4月には15周年の第8回発表会を催し、再び全幕の『眠れる森の美女』を上演しました。発表会の合間には、ご家族の方々に日頃の練習の成果をご覧いただく「おさらい会」を01年から3回行っております。
成長した生徒達の中には外国のバレエ学校に留学する者も出始めました。オランダ・デンハーグのロイヤル・コンサヴァトリーに留学した雨宮準は02年のローザンヌ国際バレエコンクールでセミファイナルに進出しました。また、長谷川由貴は、04年9月からの1シーズン、研修生として米国のプロバレエ団の舞台を経験しました。
昨年、以前の本拠で続けていた竜王カルチャースタジオを南アルプス市に移転し、「クララ」と名付けて再スタートしました。
そして、明日から、また新たな歩みを始めてまいります。
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